さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

宝経の読書感想文6

 3月3日(日)に、富士スガタ冥想センターで、スダンマ長老のお父様が亡くなって3か月の法要が行われる。
fujisugatavihara.blogspot.com

 まだ冥想センターとしての環境が整っている、とは言い難いので、スリランカの伝統的な法要を味わえる、とまでは言い切れない部分もあるが、まぎれもないスリランカテーラワーダの法要には間違いない。スマナサーラ長老もいらっしゃるそうだ。

 

 なかなか日本では馴染みのないものなので、ご興味のある方は是非ご参加下さい。

 


 さて、引用はいつもの通り、富士スガタ精舎(現富士スガタ冥想センター)の日常読誦経典より。

 

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9.
ye ariyasaccāni vibhāvayanti
イェー アリヤサッチャーニ ウィバーワヤンティ
深い智慧で世尊が説いた
gambhīra-paññena sudesitāni,
ガンビーラパンニェーナ スデースィターニ
聖なる教えを正しく観た人は、
kiñcāpi te honti bhusappamattā
キンチャーピ テー ホンティ ブサッパマッター
輪廻転生の中でどんなに遅くとも
na te bhavaṃ aṭṭamaṃ ādiyanti,
ナ テー バワン アッタマン アーディヤンティ
八回目の生まれはありません。
idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ
イダンピ サンゲー ラタナン パニータン
この理由で僧伽(サンガ)は宝です。
etena saccena suvatthi hotu.
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
この真実によって幸福でありますように。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 まあとにかく預流果になった人は、もういつか阿羅漢になる、涅槃に達する、解脱することは確約されていますよ、ということだ。

 


引用引用引用引用引用引用引用引用引用

 

10.
sahāvassa dassana-sampadāya
サハーワッサ ダッサナサンパダーヤ
聖なる智慧が生まれると
tayassu dhammā jahitā bhavanti,
タヤッス ダンマー ジャヒター バワンティ
三つの煩悩が無くなります。
sakkāyadiṭṭhi-vicikicchitañca
サッカーヤディッティウィチキッチタンチャ
有身見、疑、
sīlabbataṃ vāpi yadatthi kiñci,
スィーラッバタン ワーピ ヤダッティ キンチ
戒禁取です。
catūhapāyehi ca vippamutto
チャトゥーハパーイェーヒ チャ ウィッパムットー
四悪趣からも離れます。
chacābhiṭhānāni abhabbo kātuṃ,
チャチャービターナーニ アバッボー カートゥン
六重罪を犯しません。
idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ
イダンピ サンゲー ラタナン パニータン
この理由で僧伽は宝です。
etena saccena suvatthi hotu.
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
この真実によって幸福でありますように。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 預流果になると有身見(見、悪見)、疑、戒禁取がなくなり、みんなの「実家」、四悪趣に落ちることはなくなります。六重罪も犯しようがありません、ということだ。

 

 これまたなにも言うことはない。

 

 

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11.
kiñcāpi so kammaṃ karoti pāpakaṃ
キンチャーピ ソー カンマン カローティ パーパカン
そういう人が
kāyena vācā uda cetasā vā,
カーイェーナ ワーチャー ウダ チェータサー ワー
身口意で悪行為をしても、
abhabbo so tassa paṭicchādāya
アバッボー ソー タッサ パティッチャーダーヤ
隠しておくことはできません。
abhabbatā diṭṭha-padassa vuttā,
アバッバター ディッタパダッサ ウッター
これは教えを観た人の特徴です。
idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ
イダンピ サンゲー ラタナン パニータン
この理由で僧伽は宝です。
etena saccena suvatthi hotu.
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
この真実によって幸福でありますように。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 ということは、預流果になったくらいでは、まだ悪いことはしてしまう、ということだ。しかし身口どころか、意で悪いことをしても、隠しておくことはできないという。

 

 どういうことだろう。誰にでもバレてしまうのだろうか。それとも、ある程度智慧のある人に、なのだろうか。または、預流果以上になった人に、なのだろうか。

 

 誰にでもばれてしまう、と定義してしまうと、まあここでは人間としてしまっていいだろうから、赤ちゃんにもばれてしまうのだろうか。

 

 それとも、一般的に「悪いことするとばれるよ」程度の言葉なのだろうか。

 

 もしかしたら注釈書などに記述があるかも知れないが、めんどくさいしそこまでパーリ語がわかるわけではないから、放置(笑)。一応お釈迦様の言葉ではないとされている個所だから、そこまで突っ込むべきではないのかも知れない。

 


 「これは教えを観た人の特徴です」。まあこれは意訳と言えば意訳だ。が、日本語で繰り返して言うよりも、わかりやすいしかっこいい。

 

 パーリ語で言うと、調子や、または範囲の問題でこの方が適しているのだろう。そこまでパーリ語わからない。

 


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12.
vanappagumbe yathā phussitagge
ワナッパグンベー ヤター プッスィタッゲー
春の始めに花が開く、
gimhāna māse paṭhamasmiṃ gimhe,
ギンハーナ マーセー パタマスミン ギンヘー
そのようにお釈迦様が説いた教えも
tathūpamaṃ dhamma-varaṃ adesayī
タトゥーパマン ダンマワラン アデーサイー
人々の心を穏やかにします。
nibbāṇagāmiṃ paramaṃ hitāya,
ニッバーナガーミン パラマン ヒターヤ
その教えは解脱への道を説く教えです。
idampi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ
イダンピ ブッデー ラタナン パニータン
この理由で佛陀は宝です。
etena saccena suvatthi hotu.
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
この真実によって幸福でありますように。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 ここは訳に苦労したところだ。たしか、一年を三つ(四つではないと思ったが、自信がない…)に割った、夏に当たる季節のうち一番目の月のことだったと思った。だから「初夏」とかにも訳す。が、日本では初夏に花が咲くのではなく春に花が咲くので、「春」とした。実はスダンマ長老もここは苦笑いしていた。あまり日本にばかり適するように訳さない方が良いのかも知れない。

 


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13.
varo varaññū varado varāharo
ワロー ワランニュー ワラドー ワラーハロー
涅槃に達する、涅槃への道を開く
anuttaro dhamma-varaṃ adesayī,
アヌッタロー ダンマワラン アデーサイー
最高の教えを説きます。
idampi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ
イダンピ ブッデー ラタナン パニータン
この理由で佛陀は宝です。
etena saccena suvatthi hotu.
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
この真実によって幸福でありますように。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 またワーグナーの話で恐縮だが、歌詞の中で、単語の子音を執拗に同じもの、例えばnならnで始めたりする。

 

 日本語のものでも、歌詞を普通に朗読すると、結構恥ずかしいものがあるが、それは独語でも変わりがない、というか、ワーグナーはちょっといきすぎているかも知れない。

 

 しかし、イタリアオペラはもっと凄い!しかも目も当てられないことに、あの言語は普通に日常会話でそんなことを言っているらしい。ドイツ人は当然ついていけない。もう日本人なんてあまりに恥ずかしくて卒倒ものだ。しかし、それがラテン。

 

 まあ詩というものはちょっと特殊で、詩特有のルール、表現というものがある。日本では俳句や短歌くらいしか詩(?)としては発展してこなかったので、ちょっと感覚的にわかりにくいかも知れない。逆に、今の日本語ラップの方が、ルールは厳密かも知れない。

 

 偏見ついでに。アジア言語でラップが一番かっこいい、と思ったのは韓国語だ。

 

 ドイツでは道端で子供がラップで会話していたのを聞いたことがあるが、あれはラップにはなんとも合わない言語だよなぁ…