さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

禅定、神通、空を飛ぶ

 突然だが、第四禅定(色界最終禅定)に入っている人は、空が飛べる(まれに第三禅定の人もいるらしい。コントロールできるのだろうか…)。

 

 え!?と思うかもしれないが、考えてみれば当然だ。欲界であるこの世で空を飛ぶのに、無色界禅定は必要ない(他心通とか滅尽定には必要だが)。

 

 だから第四禅定に入った、という人がいたら、聞いてみよう。「空飛んで」と。

 

 そこで、「今日はちょっと」とか「今日は調子が」とか言ったら、テーラワーダ的には嘘つき確定だ。

 

 なぜか。

 

 禅定に入ると五自在をしなければいけない。この中に入定自在と出定自在がある。いつでも禅定に入れるように、そしていつでも出られるように、だ。

 これも考えてみれば当たり前の話だ。第一禅定に入るまではしょうがないが、第一禅定に入れるようになったら、今度はいつでも入れるようにしておかないと、それ以降の禅定の修行の意味がない。

 ちなみに五自在をやらないと、それ以降、二度と、ということはないかも知れないが、基本禅定に入れない。「まぐれでいつかは入れます」では、修行にならない。

 出定自在も大事なことはこれでわかるだろう。経典にも「最長一週間」とあるが、これは身体がもたなくなるからだ。そのまま死んでしまっては意味がない。涅槃には「入る」と意志を持たなければならない。もしかしたら即身仏とかはここら辺からきているのかも知れない。全然知らないが。

 さて、禅定に入ることはできるが、いつ出るかわかりません、では話にならない。最初のうちは長く入っていられないかも知れないが、そのうち慣れて長く入っていられるようになると、今度は周りが困る。修行をして人を困らせる、これは仏教的ではない。

 出定のためには、入定する前に「一時間で出ます」と決意、誓願する。出定自在もできない時点で、少なくともその人は第二禅定には入っていないこと確定だ。

 

 とにかく禅定というのは特殊なものなので、前から言う通り、必ず師匠についてやらなければ危ない。

 しかし、師匠に「空飛んで」とも言えない。

 いや、在家にはOKだ。沙弥にもOK。十戒に「神通を人に見せてはいけない、神通ができると人に言ってはいけない」という戒があっただろうか。いや、ない。比丘にはだめだ。戒律で禁じられている。

 在家のパオ系の冥想指導者をあまり見かけない理由だ。

 


 そういえばマハーカルナー長老の事件の時、「パーラージカ」という言葉が出てきた。

 もともとはテーラワーダ至上主義を危惧する大乗仏教の学者から出た「パーラージカは永久追放」という言葉が元凶だった。

 いや、その人に対して「それは間違いだ」と言う気はない。外部の人がそこまで調べていることは、逆にいいことだ、とさえ思う。ちなみに正解は「パーラージカは比丘追放」だ。沙弥ではいられるが、二度と比丘になることはできない。


 問題なのは、テーラワーダの人が、なぜか知らないがテーラワーダ以外の人の言うことをよく聞くことだ。

 

fujisugatavihara.blogspot.com ニャーナサーラ長老、といってもピンとこないかも知れない。しかし、反イスラムを扇動している、とされる「あの」ボドゥ・バラ・セーナの「あの」ニャーナサーラ長老、と言えばわかるかも知れない。

 ニャーナサーラ長老は実はスガタ精舎に何度も来ている。私も何度か話をさせてもらっているが、偈を唱えるのが無茶苦茶うまい、優しいお坊様だ。

 背が相当高く、迫力がある。スダンマ長老も言っていたが、「イスラム」と耳に入るとすぐに頭に血が上るそうだ(笑)。だからかもしれない、言い方はかなり過激だそうだ。

 しかし、その言い方は認めないが、ニャーナサーラ長老が言っている内容についてはその通りだ、とスリランカ三宗派の管長さん方も認める声明を出した。

 ニャーナサーラ長老が活躍している動画を見ると、「私も弱気ではだめだ」と勇気づけられる。尊敬するお坊様の一人だ。

 
 クサラダンマ長老のfacebookに、ロヒンギャ問題の記事が出ていた。私は「なるほど」と腑に落ちた。

 
 別に、テーラワーダ各国の言い分が100%正しい、とは私も言うつもりはない。しかし、テーラワーダでない人々が言う言い分が100%正しい、というのもどうだろうか。

 政治的には私はテーラワーダ寄りだが、教義については100%テーラワーダ寄りだ。なぜテーラワーダを勉強していない人が言うことを、テーラワーダを勉強している我々が聞くのか。意味が分からない。

 

 前にも書いたが、

sakuragi-theravada.hatenablog.jp

大乗仏教テーラワーダは違う。しつこいようだが、別に大乗仏教が間違いだ、と言いたいのではない。純粋なテーラワーダがまず私は知りたいだけなのだ。