さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

四つの御守りの冥想~不浄隨念1

 さあみんな大好き、不浄隨念だ!

 

 何度も言うように、これがthe 仏教だ!と思われたら困るものだが、もうこのブログではそんなこと書かなくても良いだろう。

 

 そしてこれまた何度も言うように、テーラワーダで言う性欲というのは、お母さんが娘よりも息子の方をかわいがってしまう現象についても「性欲」という。

 

 ゲームで考えてみよう。美少女が怪物に襲われそうで、それを美少年が助ける。

 

 これを、汚いおっさんが怪物に襲われそうで、それを汚いおっさんが助ける、となったら、「う~ん、売り上げは伸びないだろうな」とすぐに想像がつくだろう。

 

 そういうことだ。騎士道では決してかなわない愛を王女に捧げると純愛だとか(すまん、名前は違うかも知れない)色々あるが、テーラワーダからすれば、ただの性欲だ。

 

 そのように世間には普通にあるものだから、在家に対しては「不倫はするなよ」としか言っていない。しかし宗教界隈では、異常に敵視されるものだ。そのくせ、性欲の定義すらはっきりしていない。

 

 というわけで、テーラワーダの実践者としては、「おお、それも性欲なのか。おお、これも性欲なのか」と気付いていけばそれで良い。小さいことからコツコツと。

 

 何年か前か忘れてしまったが、性欲があまりに無くならないというので陰部を自ら切り落としてしまった出家がタイでいた。まあ出家に対して文句を言うのもアレだし、出家は在家と違い、brahmacariyaだ。在家からは想像もできない環境にあるのだろうからなんとも、なのだが、性欲が出たからと言って「くそー!」と思っていると、そうなってしまう。つまり、性欲に対しての怒りを育てているだけだ。

 

 修行好きの人は結構陥りやすい罠なので、頭の片隅にでも入れておこう。

 

 そして、この不浄隨念こそ、まあこの後の死隨念もそうと言えばそうだが、テーラワーダに縁のない人に話すのには細心の注意を要する。

 

 お坊様が言っていた。「頭がおかしくなるのは、怒りでではない。欲で、だ」と。我々はあまりに欲にまみれているので、それが欲だ、とは自分でなかなか気付くことができない。異常な欲というのは盗みに結び付きやすいが、結構テーラワーダの実践者に対しても「それは盗みになりますよ」と言いたくなることが多い。

 

 つまり、欲のある人に対して「それは欲ですよ」というのも実は危ない、と言いたいのだ。または逆に、「それは欲だ!」と怒りを招く。いつものようにネットで見かける、やたらと道徳を盾に人を攻撃する人がそんなことを言い出したら、せっかくここまで認知度が上がったテーラワーダのイメージが悪くなる。というか、もう既にイメージが悪いのではないだろうか。

 

 仏教が崩壊するのは、外部からではない。内部からだ。

 


引用引用引用引用引用引用引用引用引用

 

不浄隨念

 

avññāṇāsubhanibhaṃ
アウィンニャーナースバニバン
識のない身体(死体)は不浄です、
saviññāṇāsubhaṃ imaṃ,
サウィンニャーナースバン イマン
識があってもこの身体は不浄です、
kāyaṃ asubhato passaṃ
カーヤン アスバトー パッサン
念(サティ)を育てる人は
asubhaṃ bhāvaye sati.
アスバン バーワイェー サティ
この身体の不浄を観察し実践して下さい。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 「識のない身体(死体)は不浄です」。ここはあんまり触れたくないなあ。なにしろ私は十二縁起についてわかっていない。十二縁起については、必ずテーラワーダのお坊様から習ってください、としか言えない。

 

 識viññāṇaとは何か。確か前にも書いたように、私は「魂で良いですよ」と言ってしまうが、これを言うとスダンマ長老に怒られてしまう。テーラワーダではそういう不変の魂、我は無いよ、と言っているのだから、それが「魂のことですよ」なんて言ってしまうと、それをすべて否定してしまうことになってしまうからだ。だから十二縁起での識viññāṇaの話は激烈に難しい。というか、十二縁起がちょー難しい。ネットではどうやら私よりわかっている人たちがたくさんいるようだが、是非そういう人たちと一晩中十二縁起について語り合ってみたいものだ。さぞ私よりたくさんの真理を知っていることだろう。楽しみにしているよ。

 

 まあviññāṇaというのは、受精卵かなにか知らないが、そこに「入る」という表現をする。そしてそこから生命、有情、ということになる。身体からviññāṇaが出ると、次の蘊にまた入る、ということだ。それが、死体。

 


 「識があってもこの身体は不浄です」。まあ死体についても、日本ではキレイとされたりするのでなかなか難しいのだが、大念処経のnavasīvathikapabbaṃにもあるように、死体がどのように変化していくかを観察すると、さすがに「それでも綺麗です」と言い張れる人は、なかなかいないのではないだろうか。

 

 で、死体は不浄だが、識viññāṇaのある、つまり生きている我々も(有情も、ということで良いだろう)身体は不浄ですねえ、と観察して下さいね、ということだ。

 


 「念サティを育てる人は」。そうなんですなあ。私は、とにかく偈としての体裁を整えるために入れてあるのかなあくらいにしか思わないのだが、いや、実は深いつながりがあって書いてあることなのかも知れない。まったくわからない。

 


 「この身体の不浄を観察し実践して下さい」ね。

 


引用引用引用引用引用引用引用引用引用

 

vaṇṇa-sanṭhāna-gaṇdhehi
私のこの身体の
āsayokāsato tathā,
毛などの三十二の不浄物は、
paṭikkūlāni kāye me
形も臭いも存在するところも、
kuṇapāṇi dvisoḷasa.
どのように観ても汚いものです。

 

引用ここまで引用ここまで引用ここまで

 

 「毛などの三十二の不浄物」。テーラワーダではやたらと出てくるフレーズだ。

 

 なぜ三十二なのか。アーユルヴェーダでもこう見ると聞いたような気がするが、正確に32なのかどうかはわからない。わからないが、少なくとも分類的にはこういう分け方をすることは確かだ。ピッタとか聞いたことがないだろうか。

 

 業処として不浄隨念、身起念、三十二身分をやろうとするならば、この三十二でなければならない。他は許されない。

 

 まあしかし、ライトに不浄隨念をするのなら、そこまで考えなくても良いだろう。

 

 参考までに、三十二身分を引用して今日は終わりにしようと思う。私には、日本語で見ても何のことかわからないものが多いが…

 


 その前に。

 

 「形も臭いも存在するところも」。スマナサーラ長老の本のどこかで、確か「(不浄隨念は)医者は除く」みたいなことが書いてなかっただろうか。間違いだったらほんとうにすまん。医者は日常的にそういうものを触れなければならないから(科によるか?)、不浄隨念なんかやっていたら仕事にならん、ということだろうか。

 

 で、「形も臭いも」とはなんとも言いすぎなような気がする。さすがに生の内臓を見ることに慣れていない我々が内臓などを見ると「うん」と思うが、普通に外に出ている顔や四肢が「形も臭いも」、とは、なんとも。

 

 まあしかし、そうなると「ではどこから、いつから不浄になるのですか?」という問題が出てくるので、テーラワーダでは始めから「不浄に決まってるでしょ?バカですか?」と問いかける。申し訳なかった。

 


 では引用して終わろう。

 

 日本語訳は、ウ・ウェープッラ長老著、南方仏教基本聖典(中山書房仏書林)から。パーリ語については、出家は暗記しておかないと話にならない。

 

 ここでは数が合っていないような気がするが、気にしてはいけない…。パーリ語の引用は、大念処経から。なんかお経によって多少違いがあったような気がする。こういう所、「統一しよう」とはならないのが、テーラワーダというものだ。頑なに、残っているものに忠実であろうとする。少しでも変えるともう歯止めが利かなくなるから、という考えからだ。

 


atthi imasmiṃ kāye
アッティ イマスミン カーイェー
この身体に、
kesā lomā nakhā dantā taco
ケーサー ローマー ナカー ダンター タチョー
髪、毛、爪、歯、皮、
maṃsaṃ nahāru aṭṭhi aṭṭhimiñjā
マンサン ナハール アッティ アッティミンジャー
肉、筋、骨、髄、腎臓、
hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ
ハダヤン ヤカナン キローマカン
心臓、肝臓、肋膜、
pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ
ピハカン パッパーサン アンタン アンタグナン
脾臓、肺臓、胃、腸、
udariyaṃ karīsaṃ
ウダリヤン カリーサン
胃の中の食物、大便、
pittaṃ semhaṃ pubbo lohitaṃ
ピッタン センハン プッボー ローヒタン
胆汁、痰、膿汁、血、
sedo medo assu vasā kheḷo
セードー メードー アッス ワサー ケーロー
汗、脂肪、涙、血精、唾、
siṅghāṇikā lasikā muttanti.
スィンガーニカー ラスィカー ムッタンティ
鼻汁、関節滑液、頭中の脳漿、小便がある。