さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

スマナサーラ長老がいらっしゃいました

 富士スガタ冥想センターに、初めてスマナサーラ長老がいらっしゃった。

 


 昨日3月3日(日)に、スダンマ長老のお父様が亡くなって3か月の法要が行われた。

 

 もともとスダンマ長老としては日本でその法要を行う気はなかったらしいのだが、スリランカ人檀家さんたちが「ぜひやろう」ということで実現したそうだ。

 

 スリランカ人の檀家さんたちとしても、馴染みのあるお父様だ。

 

 そもそものスリランカのスダンマ長老のお寺の檀家さんも富士スガタ冥想センターにはよく来るのだが、以前のスガタ精舎の時に、長老のご両親も3か月日本に滞在された。

 

 もともとスダンマ長老はご両親を日本に招きたいとかなり前からおっしゃっていて、ちょうど桜の季節にご両親を日本に招くことが出来たことには大変喜んでいらっしゃった。もう何年越し、下手すれば十年以上越しの夢がかなえられたのだ。

 

 ご両親が精舎に滞在されている間私は何度も寺に行っていたので、もちろん私も馴染みがある。一緒に買い物に行ったり、ロティの作り方を教えてもらったり。

 

 今考えれば不思議なのだが、こちらもお父様も、ほとんど英語が喋れない。お母様は外国語はからっきしだ。スダンマ長老が通訳して下さった覚えもほとんどない。しかし、コミュニケーションは通じていた。仏教がどうとか、そういう話をしていたわけでもないから、お互い「通じさせよう」という気持ちで対面していると、なんか通じてしまうんだなあ、と改めて思う。


 そういえば、スダンマ長老が沙弥として出家した子供の頃、お母様がどうしても「息子よ」みたいな言い方をしてしまうので、出家の沙弥の当時のスダンマ長老としては「それはいけません。出家に対して呼びかけなさい」と何度も言ったのだがなおらなかったそうで、そのうち根負けしたのか、長老としても「いや、ま、いいや」という気持ちになったのか、「まあそこまで言わなくてもいいですね」ということになったらしい。

 

 じゃあではお母様が出家としてのスダンマ長老を尊敬していないか、というと、まったくそんなことはない。日本滞在中に布だったか衣だったかを長老にお布施した時、長老は横になったままだったが、きちんと足に触れ礼拝していた。

 

 しかし、親はやはり親だ。日本で見る親子関係と同じで、一緒に買い物に行った時などは、お母様が「(せっかく日本に来たのだから)どうしてもこういうものが欲しい」というので我々も一緒に探し回っていたのだが、同行していたお坊様は「もうやってられん」という表情で、どこかに行ってしまった(笑)。

 

 もしかしてスリランカだけのことなのかもしれないが、だから出家が異性に触れない、とか言っても、親族は別に関係ない。そもそもスリランカ式では、以前に書いたように、聖糸をまく時とか、礼拝する時とか、だれも気にしない。赤ちゃんや子供を抱き上げる時だってある。

 

 そもそも戒律を持ってきて人を攻撃する者など、ろくなやつではない。戒律は自分で守るものであって、人が守っていないからといって「あー、おまえ、守ってないー、先生に言ってやろー」というやつが、どういう人格者であるのか、考えればすぐにわかるだろう。

 

 私も自分で気付くといつもびっくりするのだが、人は自分の怒りに気付いていない。だから、いつでも「自分が正しい」と思い込んでしまう。その人は正しいのだから、もう「間違ってますよ」とは指摘のしようがない。そうして、聖者が誕生する(笑)。

 


 さて、スマナサーラ長老はここ一週間ほとんどなにも口にできないほどの高熱に悩まされていたそうで、法話の時も「目を閉じると幻覚が見えるから目を閉じません(笑)」とおっしゃっていた。

 

 そんな中でもスガタ冥想センターにいらっしゃったのだから、スマナサーラ長老の凄まじい意気込みが感じられる。

 

 前日にスダンマ長老に電話があったそうだ。こういうアーユルヴェーダの薬を作ってくれませんか、と。だからスダンマ長老も材料を買ってきて薬を作った。

 

 私は直接マナサーラ長老のお顔を拝見したのはほんとうに何年振りかなので最初「だいぶお歳をとられたな」と感じていたのだが、そりゃこれだけ体調がすぐれていなかったのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

 

 なので、スマナサーラ長老は、「今目を閉じると幻覚が見えるくらいですから、なんか変なことを言ってしまうかも知れません」と言ってから、法話を始めた。

 

 「儀式は~」といつものスマナサーラ節から始まったが、内容はなんと餓鬼についてだった。だからこそ「変なことを~」と先に言っておいて、場合によってはあとで訊かれた時には「そんなこと言ったのは記憶にありません」とも言えるが(ほんとうに記憶にないかも知れないほど、弱っていらっしゃった)、それだけ内容は少々やばいものだった。

 

 しかし、日本人の方も結構来ていたので、別にここに書いてしまってもいい話だろうという判断の下、書こうと思う。


 そういえば、スダンマ長老もよく言うのだが、今回のスマナサーラ長老も、「今日はさすがにシンハラ語でも説法するかな」と思っていたがまったくせず、「ここにいるスリランカの人たちも日本語べらべらですから」と言って、日本語のみで法話なさった。

 

 いやしかしさすがに内容が内容で、そもそも単語についてスリランカの人はわからないだろう。

 

 中には凄い人たちがいるのだ。日本語べらべらの人たちは結構いるが、読み書きも全然問題ない、という人たちがいる。あれにはびっくりした。

 

 巷で言われるような、「日本語は難しい」とは私は特に思わないが、読み書きだけは別だ。あれは世界で最も難しいと言ってしまっても良いのではないだろうか。いや、よくは知らないが。

 

 なにしろ文字の種類がひらがな、カタカナ、漢字とあり、しかもその漢字の読み方が複数あるのが普通だ。日本人だってよく間違えるではないか。あれを普通にネイティブレベルでできる人たちが、精舎に来る人たちの中にもいる。あればっかりは、その精進にほんとうに頭が下がる思いだ。当然のことながら、日本語はまったくしゃべれない人も中にはいる。

 

 しかしそういう人にとっても、さすがに(大乗)仏教用語は、「う~ん」だろう。

 

 その昔見た目的に日本人とは区別がつかない国の人たちのスパイかどうかを見分けるために、「かーらーすー、なぜなくのー」と訊いて、その後が歌えなかったら外人だ、なんてのがあった。意外に日本に住んでいると当たり前ということは自分たちでは自覚のないもので、そしてこれは、外国育ちの日本語を母語として育った人にも言えることだ。日本語というのは「察して」言語だから、こういう齟齬が、コミュニケーションの障壁となって立ちはだかることが結構多い。逆に英語なんか、どこの国の人が話しているのかわからないから、少なくとも前提の考え方は違うのかも知れない。いや、これもまったくわからないが。


 スマナサーラ長老は、「(略)ゴミ箱のところに餓鬼がいるのが私には見えるんです」とおっしゃっていた。

 

 以前書いた通り、私はスマナサーラ長老は「見えない」人だと思っていたから、驚いた。まあ今までに、長老が「私は見えます」なんて言っていたら、大問題にもなっただろう。結局は、「回向はしてくださいね」という話だった。

 

 例えば親戚の亡くなった人が餓鬼になってうちにいるとする。それを追い出す、というのはいかがなものか、と。

 

 テーラワーダ的には、前世の、何世か前の親族で餓鬼になった人も、回向を求めて周囲に来たりする。それが悪さをするからといって追い出すのではなくて、善行為をしたらその生命に対してだけではなく周りの生命、そして生きとし生けるものに回向して、まあその生命が受け取れたとすると、良い次元に行くことが出来るのだ、ということだ。

 

 私は以前から疑問に思っていたことがあるので、訊いてみた。端的に言うと、回向してしまうと追い出したことになってしまうのではないか、と。お答えは、違う、と。だからバリバリに回向しまくって何も問題ないという確証が得られた。

 

 しかしお話から察するに、やはりどうしても追い出さざるを得ない場合もあるようだ。そういう時は「裏技」という言い方をしていた気がするが、それも一回しか使えない、みたいな言い方だった。祓うには祓うタイミング、というのものもあるようだ。

 

 だから祓うのか仲良くするのか、見極めなければならなくなってしまった。


 と、まあ私はそう受け取ったわけだが、皆さんがどう受け取るかはわからない。あまりそういう話ばかりをしていても問題があるかなあと思わないでもないが、テーラワーダとしても「それは真実ではない」とは言い切れない部分の話でもあるので、一応書いてみた。

 

 問題なのは、一部にの人にしか見えないことを良いことに、人を騙してそれでなんとかしようとする人たちが現れることだ。そういう意味もあって、比丘僧伽というのは大事なのだが、皆なぜあんなに攻撃しようとするのだろう。「世の無上の福田」というのがわからないのだろうなあ。まあ今までは馴染みがあまりなかったから、仕方がないといえば仕方がないのかも知れない。


 そういえば以前から、スマナサーラ長老は、日本人出家が次々と現れ日本に教えを広め始めたらその時こそテーラワーダが日本に根付いたと言える、とおっしゃっていた。

 

 まだまだ冥想センターも施設的にも整っていないことが多いが、テーラワーダというのは、「正しいことなのだからとりあえずやってみる」という姿勢で何事も始める。「これだけの見込みが立ったから、でははじめましょう」とはしないので、日本人からすると相当な違和感があるようだが、私としても、慣れてくるとその方が正しいのではないかなあ、と思ってしまう。

 

 スダンマ長老は伝統的なテーラワーダのやり方に大変詳しく、新しい国にあってテーラワーダを根付かせようという動きにはぴったりのお坊様だ。年齢も若い。

 

 スマナサーラ長老も、話の中で、「スダンマ長老はこれだけの活動をしてきて、これだけの実績を積んできました。もっと社会に対して活動を広げても良いでしょう」みたいなことをおっしゃっていた。

 

 だから私も興味があってスダンマ長老に後で訊いてみた。「今のこの冥想センターで出家を育てられるとしたら、何人くらいですか?」と。そしたら、「う~ん、3人ですね」とのお答えで、正直椅子から落ちそうだった(笑)。

 

 僧房というと、なんとなくアパートみたいなイメージがあったのだが、ああいう形だとなんとも育てにくいという。部屋は大事なものを置いておくのと寝るために必要なのであって、沙弥を育てる場合、いつでも師匠が入れるように部屋にはカーテンをかけるくらいで、扉はない所もあるという。

 

 沙弥戒というのは大変厳しいもので、10唱えたあとに最後に「これらを守ります」と言う。つまり、一つ破れたらすべての戒律が破れたことになっしまう。このことにおいてのみ、比丘戒とは決定的に違う。

 

 だからかも知れない。私も散々文句を書いたが、マーヤーデーヴィー精舎での一時出家修道会ではいきなり比丘にしたのは。

 

 まあしかし僧房という所は結局は出家を育てるところであって、だからトイレも共同、当然キッチン(?)共同、そうしないと「育てることが出来ません」とスダンマ長老はおっしゃっていた。部屋はあるが、あとは共有、みたいな考え方でいいのだろうか。これは富士スガタ精舎、富士スガタ冥想センターで宿泊冥想会に参加したことのある人ならピンと来る話だろうと思う。

 

 出家したからと言って、もちろんクティを作ることは作ると思うが、決してクティの中に引きこもっていられるわけではない。師匠(たち)からの熾烈な、苛烈な攻撃(笑)が繰り広げられる。


 富士スガタ冥想センターが、これからそういう場所になっていくのだろうか。スマナサーラ長老がいらっしゃったことによって、その夢の実現が確実に近づいてきた足音がするような気がした、そんな、お父様が結んだ縁を感じた法要だった。