さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

大〇寺に乗り込む

 宗教に結構詳しい人でも誤解していることがあるのでこれははっきりさせておきたいのだが、日蓮宗日蓮〇宗は違う。

 

 日〇正宗の系統に創〇学〇や顕〇会がある。〇価〇会とは結構前に決裂している。以前佛道実践会で「南無妙法蓮華経のイメージが悪い」と言っていた人がいたが、これは明らかに日蓮宗のせいではない。創〇〇会や〇正会のせいだ。

 

 私の家は親戚一同、祖母の代からの〇価学〇なので、この辺は詳しい。

 

 スダンマ長老は、日蓮宗系の日本の大学を出ていらっしゃる。ヤサ長老、ワンギーサ長老にテーラワーダの教義を伝えようとした時、シンハラ語パーリ語サンスクリット語ではできなかったので、日本語で伝えようとしたら、用語がわからなかった。そこで「これは勉強しなければわからない」ということで大乗仏教系の大学で勉強した、と以前おっしゃっていた。院にも進もうと思ったが、これ以上勉強してもテーラワーダとは関りがないと判断し、やめたという。

 その関係で日蓮宗のお坊様とは関りが深い。以前の富士スガタ精舎の近くにも日蓮宗のお寺があり、精舎ができた当初はよく法要でお互いの寺を行き来していた。しかし、檀家さんからクレームが入ったという。他の宗教のお坊様が頻繁に出入りするのはいかがなものか、と。

 

 日蓮宗だって、やはり日蓮さんの系統なので、やや攻撃的なところがあった。日蓮〇宗もそこまでではなかったが、創〇学〇が勃興すると、攻撃色を格段に上げた。全盛期にはよく日蓮宗のお坊さんに論争を吹っかけては、「勝った!」と勝鬨を上げていた。


 さて以前の富士スガタ精舎からも、いまの富士スガタ冥想センターからもほど近くに、この日蓮正〇の本山、大〇寺がある。複数の寺院群で広大な土地。〇価学〇と分裂する前に、私も何度か行ったことがある。


 もう何年も前になるが、スダンマ長老が五重塔が見たい、という。富士宮市の観光案内にもあるが、富士宮市では唯一の五重塔が、大石〇にはある。

 私は張り切った。ここならわかる。自分のテリトリーのようなものだ。その以前、スガタ精舎に行ったら誰もいない時があったので、その時に〇石寺に久しぶりに行ったことがあった。慣れない嫁さんには独特の雰囲気に感じられたそうだが、私はまるで故郷に帰ってきたような感じが少ししたのを覚えている。

 

 実はそれ以前に大〇寺からお坊さんも信者さんもスガタ精舎にはちょくちょく来ていて、後から知ったのだが、精舎の前にある駐車場にいるスリランカ人に声をかけ、「食事でもどうですか」といってかどわかされる(?)、ということがけっこうあったらしい。幸福の科学の人も来たことがあるそうだ。

 いや、別に、他の宗教の人が別の宗教の施設に行ったりするのは構わないし、逆に良いことだとさえ思う。しかし、そこで勧誘するのはどうだろう。というか、ダメだ。自信がありすぎも、迷惑になりますよ。


 〇石寺のHPを見ると、どなたでもいらしてください、とあったので、長老に「大丈夫みたいですよ。」と言った。ちょうどその時に来たスリランカ人10人くらいと、雨安居に入られていたサッダーティッサ長老と一緒に、大〇寺に見学に行った。

 入り口で、いきなり在家の人の勧誘にあった。たった一人のおばさんが、お坊さんの格好をした二人、スリランカ人10人余りと日本人二人の集団に、なんの恐れもなく一人で勧誘に入る。これは凄い。私は、ここまでとは思っていなかったので、一抹の不安を抱きながら、このおばさんに私一人、10分くらいだろうか、からまれていた。「見学に来ただけですから!」と救ってくれたのは、嫁さんだった(笑)。

 気を取り直して本堂の方に行くと、寺院群が終わる門のところで、白い袈裟のお坊さんが出てくる。私はもう先に行っていたので後で聞いたのだが、テーラワーダの袈裟でここに入るのはまずい、と言う。

 実は私はこれを危惧していたのだが、HPにはそういう記述がなかったので「大丈夫」と言ったのだが、ダメだったらしい。

 なんか恥ずかしくなってきた。あれだけ喜び勇んで、師匠を案内しようとしたのに、こんな結果になって。

 まあそれでもまったく繋がりのない所でもないのだし、となったのだろうか、以前スガタ精舎に来たことのあるお坊さん夫婦の坊に来て、話をしよう、ということになった。

 スリランカ人は、正式には寺に入るとき、帽子を脱ぎ、裸足になる。それが礼儀だ。日本とはこういう所で、結構違う。この坊に入るとき、スリランカ人皆、ここではそうしていた。もしかしたら、スダンマ長老の前だし、ということもあったのかも知れないし、スダンマ長老が怖かったのかも知れない(笑)。

 坊に入ると、そのお坊さん夫婦、ほかお坊さん、在家の人も数人いた。きれいな坊だ。真新しかった。

 しかし、どうも様子がおかしい。お坊さんがスダンマ長老に、教義的な話をふっかけてくる。

 この論法は私もよく知っている。創〇〇会が他の宗教に対して言うやり方だ。最初は、そこにいる在家の人も笑っていた。「勝った!」と思っていたのだろう。しかし、どうも旗色が悪くなってくると、大〇寺で一番学問が得意だという、若いお坊さんを連れてきた。

 さすがにここからは、私の知っている論法ではなかったが、逆にそれだからこそ、私には弱いような気がした。知識的には私でも勝てそうな気がしたが、相手を引き下がらせるほどの力量は、私にはない。

 ここで私にはわかった。これは、分裂する前の、〇価学〇のやり方とそっくりだ。分裂時には、創〇学〇からの攻撃で、大石〇も大変だったと聞く。その時に、対抗手段を編み出さざるを得なかったのだろう。結果、似たようなものになってしまったのかも知れない。〇価〇会は、その時に比べもう相当、丸くなっている。

 さて、その若いお坊さんの顔が、青くなっているように見えた。当然といえば当然かもしれない。テーラワーダも、インド発祥の大乗仏教についても、パーリ語も、サンスクリット語も、そして日本の大乗仏教まで勉強しているスダンマ長老とでは、まず知識量に差がありすぎる。苦手なものといえば、漢文くらいか。どうでもいい情報だが、私も漢文は苦手だ。

 しかし彼は引き下がらない。スダンマ長老は言った。「私たちは、サンスクリット語で会話ができます。」と。私はさすがにハッタリだろう、と思った。その時の私は、のちに本当に長老がサンスクリットで会話ができるほどの教養の持ち主であることを思い知らされることをまだ知らない…

 さすがにこれで終了となった。

 

 しかし、引き下がらない(笑)。この話の間私は、帽子をかぶって、うつむいて座っていた。これを好機と見たのか、今度は席を外した私に、お坊さんの奥さんがふっかけてきた。

 実はこの時、私は笑いをこらえるのに必死で、うつむいていた。さすがに失礼だと思ったからだ。しかし、「話を聞いていないこいつならいける」と思ったのだろうか。

 私は先ほどの話をかいつまんで話したり解説したり詳説したり要約したりした。引き下がってくれた(笑)。

 本当のことを言うと、このくらい知識のある人たちだと、逆にやりやすい。「知識ではかなわなそうだ」と思ってくれるからだ。最初に入り口であったおばちゃんや、他にもスガタ精舎に来たことのある信者の人など、正直どうにも話のしようがなかった。告白すると、私の親もこのタイプだ。その関係で、今は距離を置いている。


 最後に、ご本尊のところに行きましょう、となった。まずスリランカ式でやると、彼らは少し笑った。

 スリランカ式では、まず本尊に礼拝する。日本式には、土下座に見えるかも知れない。日本人のやなところだなあと思うのだが、ちょっと礼儀作法が違うだけで笑う。今のスマナサーラ教の人たちもこうなっているような気がして、私は正直危惧している。


 帰る途中、スダンマ長老は、激怒していた(笑)。彼らの前では見せなかったが、「五戒を守らずに悟りを開くなんて、地獄に落ちる!」とまで言っていた。

 今考えると、日蓮〇宗の人たちは、他宗教の施設に行くときにはそういう気持ちでいくのだし、だから我々が行った時には「殴り込みだ!」と思ったのだろう。

 スダンマ長老としても、さすがに堪忍袋の緒が切れていたのかも知れない。近くにいるとよくわかるのだが、ほんとうに檀家思いのお坊様だ。その檀家に何をしてくれるんだ!と思っていたのかも知れない。

 そんな檀家思いの長老でも、「三回言ってわからなかったら、はい、さようなら」とは断言なさる。これはテーラワーダをやっている人なら経典などでよく見かける、「三回言う」というやつだ。私には、「一回言ってわからなかったら、わかってるんだろうな」としか思えないが(笑)。

 だから、度重なってちょっかいを出してくる〇〇正宗には頭に来ていたのかも知れない。おかげでその後、ぱったり来なくなった。

 

 正確には、一年くらいして、在家の人が一人で来た。その時は私が相手をしたが、意外に話ができた。まったくわからないが、その後、寺の方針が変わったのかも知れない。


 お坊さんの奥さんが「ではその袈裟を脱いで、普通の服で来ればいいですよ」と言っていた。テーラワーダのお坊様で、それはあり得ない。日本は寒いので、三衣以外の服を着ることがあるが、寒さ、暑さ、虫、風、太陽、蛇などから護るために、また恥ずかしい所を隠すために着るのは、あの袈裟だけだ。

 

paṭisaṅkā yoniso cīvaraṃ paṭisevāmi, yāvadeva sītassa paṭighātāya, uṇhassa paṭighātāya, ḍaṃsamakasavātātapasiriṃsapasamphassānaṃ paṭighātāya, yāvadeva hirikopīnapaticchādanatthaṃ.