さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

アビダンマ(略)の読書感想文8

 今日もまたこの2冊にお世話になります。


・アビダンマッタサンガハ 南方仏教哲学教義概説
 監修 水野弘元、訳注 ウ・ウェープッラ、戸田忠
 アビダンマッタサンガハ刊行会


・アビダンマ基礎講座用テキスト
 ウ・コーサッラ西澤


 30頁。

 

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〈智相応心の起る理由〉3.慧根の円熟期(indriya-paripāka)人は青年期には五欲の方へ心が傾いており精神的に不安定である。そのため、世間や出世間についての知識も足りないなどの理由で、当然あるべき智が十分に起こらない。例えば、40才から50才位迄の間は智慧のすぐれた時期で、この時には五欲を楽しむ気持ちは少なく、精神的に安定している。そのため知識も広くなり、智慧が最も良く現れてくる。即ち、智相応心が増大することになるのである。

 

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 なるほど、アビダンマでも40代が一番脂が乗る時期、というわけですな。私はまだこれからだ、ということで良いですかな(笑)。

 これは世間一般に言われていることと何ら矛盾しない。アビダンマだからといって、まったく世間に背を向けたことを言っているのか、というとそうではない、ということがここでもわかる。まったく世間には役に立たないかのように見えることも多いが、そうでないこともある。

 まあ、だからといって、アビダンマを勉強したからといって世間に役に立つか、というと疑問だが。その論理を身に着けることによって頭が良くなることは確かだから無駄にはならないだろうが、やはりテーラワーダの基礎知識を身に着ける意味合いの方が強いような気がする。そして、その上でテーラワーダを勉強すると世間の役に大いに立つ。

 というわけで、結局アビダンマを勉強すると世間の役には立ちますよね、という結論に至る(笑)。テーラワーダの道は長く険しい。これは早いうちに覚悟しておいた方が良い。

 

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4.遠離煩悩の状態(kilesa-dūrībhāva)年少であっても、止・観業処を修している人、或いは勉学に励んでいる人は煩悩が少なく、智慧の働きが鋭くなる。

 

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 若いうちから勉強するのはいいことだよ、と当たり前のことをアビダンマは説いてくれる。即ち、アビダンマは道徳的だ、ということだ。

 私も若いうちから勉強しておけば良かった…。主に英語で大変後悔している。


 31頁。

 大異熟心。欲界有因異熟心。喜倶と捨倶、無行と有行、智相応と智不相応で8つ。

 インド文化では、大mahāと付けると、とにかく良いことらしい。私にはまだこの感覚が理解できていないのだが、とにかくmahāと付くと良いことだ、と覚えておこう。mahāyānaに対してhīnayāna。我々が思う以上に、差別的なのかも知れない。


 32頁。

 大唯作心。同じように喜倶と捨倶、無行と有行、智相応と智不相応で8つ。阿羅漢にも智不相応心が起こるんですな。

 

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例えば阿羅漢も施・戒・止・観などを行ずるが

 

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 阿羅漢の方も、サマタもヴィパッサナーもやるよ、ということだ。

 

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その場合の心は、凡夫や有学のように具体的には喜倶智相応無行心等である。凡夫や有学には無明・渇愛随眠という、有(現世)と有(来世)を接ぐ働きをする湿潤(sineha)あるから来世に異熟をもたらすが、阿羅漢にはこの湿潤が無い為、異熟をもたらすことがない。このような心が唯作心である。

 

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 わけわからん(笑)。まあとにかく、阿羅漢は布施をしても戒を守ってもサマタヴィパッサナーをやっても来世に異熟はもたらしません、ということだ。善行為でもない、無論悪行為でもない。結果は出さない。しかし、やっている時は喜倶心だから、somanassaは感じるよ、と。我々の感覚からすれば、そのsomanassaだけが報酬だよ、ということだ。

 

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サンガハ・ガーター(摂偈)

vedanā-ñāṇa-saṅkhāra-, bhedena caruvīsati,
sahetu-kāmāvacara-, puñña-pāka-kriyā matā.

 

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 以前私は、「暗記するのに、本文を暗記して、なぜまた章(?)の最後にいちいち項目のようなものを暗記しなければいけないのだろう。二度手間ではないか」と思っていた。

 しかし、暗記してみると分かる。お坊様も、法話というのは基本本など見ないことが多い。そこで項目を出すときに、これが非常に重要になってくる。

 考えても見てほしい。まず昔はすべて口伝だった。書物は無い。だからこの文章を受け継ぐだけでも、この締めの句はあるだけでありがたい。

 そして、本を見ずに話をする時にこの句を覚えておくと、すべてが出てくるようになっている。

 といっても、三蔵の中で、こういうまとめ句はあったりなかったり順番が違ってたりとか、国とかエディションの違いで結構異なっていたりするから、別にこの締めの句自体がまるまる受け継がれているわけではない。こういうやり方が、脈々と受け継がれてきた、ということだ。

 

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 この偈は、欲界浄心を簡略に示したものである。善・異熟・唯作の3を、喜・捨の2で乗算すれば6、又、これを相応・不相応の2で乗ずれば12、更に、これらには有行・無行の別があるから合計24になる。

 

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 さあ、アビダンマ(ッタサンガハ)の真骨頂だ!この数字の関係で、アビダンマが嫌になった、という人をよく聞く。実は私もその一人だ(笑)。何を隠そう、私も数字には弱い。方程式からもう意味わからん。正確に言うと、分数の割り算からまったくできていない。はっきり言って、バカだ。

 

 というわけで、ここではあまりこの数字については扱わない(汗)。だってバカなんだもん…