さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

アビダンマ(略)の読書感想文25

 今日はこの2冊にお世話になります。


・アビダンマッタサンガハ 南方仏教哲学教義概説
 監修 水野弘元、訳注 ウ・ウェープッラ、戸田忠
 アビダンマッタサンガハ刊行会


・アビダンマ基礎講座用テキスト
 ウ・コーサッラ西澤


 53頁。

 

 ここから暫く数字が続くのでなんとも苦手なのだが…

 

 相応の仕方。

 

 これがわからないと、結局アビダンマがわからない。しかし、現代には便利な、チャートというものがある。そういうものを見て、その都度確認すれば、ここは暗記する必要は無くなる。と言って逃げる…

 

 尋については特に問題ないだろう。「五基に対して」とあるから、結局ここも色をやらないと細かいことはわからない。

 

 54頁。

 

 伺について。

 

 なんだか嫌になってきた(笑)。とにかく数字を見ると嫌になる。そんなんではだめだ。だめなのだが…

 

引用引用引用引用引用引用引用引用引用

 

(意欲は)考えに耽る極愚心には相応しない

 

引用引用引用引用引用引用引用引用引用

 

 そうなの!?今初めて知った。結局無知とは、考えに耽ることらしい。こりゃ、私なんかそうとう無知だな。まずい。

 


 そういえば最近人と話していて「おや?」と思ったので、ここで書いておく。

 

 私は性caritaに興味があるので、正確にではなくてもなんとなく覚えていたのだが、実はアビダンマを一通り勉強した人(在家)でも、業処kammaṭṭhānaのcaritaへの対応については、よく覚えていないらしい。これはkammaṭṭhāna-saṅgaha-vibhāga摂業処分別というくらいだから、最後の章に出てくる。

 

 業処というのは、性caritaによってやるべき業処が決まっている。やるべき、というか、そういう性質が現れやすい人にはこういう冥想が良いですよ、ということだ。日常やるというより、サマタとして専門的にやる時に、と考えたらいいかも知れない。別にそれ以外やってはいけない、ということでもない。が、人にはそれぞれ修行に適した業処はあるよ、ということだ。

 

 私だって正確に自分の性格がわかっているわけではないから、ここはスダンマ長老に訊いたことがある。そうしたら、その時の気分がそういう方向、例えば欲に向かっているなら不浄隨念とか、そういう感じでも良いですよ、ということだった。

 

 そして、西澤先生の本の72頁には「性による業処の分別」として、分かりやすく表にしてくれてある。そのまま引用したいのだが、ここでの表の書き方などわからないし、なんかで作って張り付けるのもめんどうだ。もうなんか、数字だらけで、やる気がまったくしない…

 

 というわけで、ちょっとわかりにくいかもしれないが、私が勝手に文章にして引用する。数字だらけであまりにやる気が出ないので、今日はこれで終わり。

 

引用?引用?引用?引用?引用?引用?

 

業処は40ある。

 

すべての性に、地水火風、虚空と光明の遍と、無色は適用。

 

貪性には不浄10と身起念。
瞋性には無量4に、青黄赤白の遍。
痴性と尋性には、出入息観。
信性には仏、法、僧、戒、捨、天の隨念。
覚性には寂止、死、食厭想、四界差別。