さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

信saddhāについて2

 なぜ「信saddhā」について方便を使うのか、如実にわかる動画が上がりました。

 

youtu.be

 

 この方ですら、日蓮宗日蓮〇宗は違う、という認識が無いようですが、まあそこは良いです。

sakuragi-theravada.hatenablog.jp

 

 「信仰」ととらえると、こういう方向に行ってしまうのですね。確かにこれはマズい。

 

 だから、勉強して、実践して、「確信」と言うのか、と大変納得した次第です。

 

 なるほど。

 

 

 もう何年も前、私が初めてゴータミー精舎に行った時、法話の前なのに、いきなり在家に冥想指導された。姿勢が悪いとかで、おばさんに身体まで触られた。びっくりした。私は「初心者ではないです」と拒否したが、それでも他の人には続けていた。

 

 「信仰」となると、後から来た人より私は偉い、となってしまうらしい。