さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。(只今休止中です)

次第説法とは

 以前とある小学校で、全校生徒を前にリコーダーを教えたことがある。仲間と数人で、演奏も交えながら。

 最後の方で、是非ともこれからもリコーダーを続けてほしかったので、進行役だった私は「どのリコーダーでも指使いは変わりませんので、ぜひ他の楽器もやってみて下さい。」と言った。

 仲間の一人が、「いや、それは違うんじゃないの?」と私にささやいたので、「ではそれをみんなに言ってください。」と、本人に言ってもらった。

 別にだからといって雰囲気が悪くなるわけでもなく、私も気を悪くするわけでもなく、会は雰囲気良く終わった。私も楽しかった。


 さて、この話を詳しく解説していこうと思う。

 

 私世代なら皆、今だと選択科目なのだろうか、しかしリコーダーという楽器はご存知だと思う。いわゆる「縦笛(たてぶえ)」だ。

 小学校でやる楽器だからか、低く見られることがありがちな楽器でもあるが、とんでもない。あれは誰にでも音だけは出すことができる、という理由で普及しているのであって、音楽的に弾こうとするとまあ難しいことこの上ない。逆に、音を出すだけでも一苦労する楽器の方が、音さえ出てしまえば楽だったりする。

 

 さてこのリコーダー、小学校では基本ソプラノリコーダーだ。

 指使いを覚えているだろうか。ファの指使いが、右手の人差し指だけだったはずだ。あれはジャーマン式といって、特に指の小さい小学生には小指を塞ぐのは難しいので、ファの指使いを簡易化した楽器だ。

 本当のファ、本来の指使いであるバロック式の楽器では、右手は中指が上がるだけ、後の指は小指も押さえなくてはならない。フォークのように中に開く指が存在するのでフォークフィンガリング、と言う。ファでこのフォークフィンガリングを避けるために開発されたものが、ジャーマン式の楽器(指使い)だ。

 もしあなたの家にソプラノリコーダーの現物が存在したら、見てみてほしい。楽器の裏に、「G」とどこかに刻印があるはずだ。あれがジャーマン式の証明だ。「B」とあれば、バロック式。もちろん刻印がないものもあるが、私の知る限り、ジャーマン式にはほとんど刻印がある(刻印の無いものをこの日本で持っている人には、こんな説明は不要だろう)。

 

 リコーダーには大きさ(音の高さ)によっていろいろな種類があるが、小学校でソプラノリコーダーを使う理由は、それが小学生の体形に合っているからだ。あれ以上小さいとコントロールが厄介だし、あれ以上大きいと、指が届かない。それ以上の理由があるわけではない。もしかしたら、息のコントロールがちょうど良い、という理由もあるのかも知れない。

 で、このジャーマン式のリコーダー、基本ソプラノリコーダーでしか普及していない。中学になって一つ大きいアルトリコーダーになると、バロック式の楽器しか存在しない(これもこの日本では(略))。


 仲間が、「いや、それは違うんじゃないの?」と言ったのは、このことだ。中学になったらアルトリコーダーになる、その時は今のジャーマン式の指使いではなくて、バロック式の指使いになるよ、ということが言いたかったのだ。


 このジャーマン式という指使い、ドレミとソラシドはバロック式と同じで、ファだけが簡易化されている。それでなにがいけないの?と思うかもしれないが、実はそのファの簡易化のために、シャープ、フラットの音はほぼすべてとんでもなく指使いが難しくなってしまっている。

 これでわかるだろう。シャープ、フラットを使わないから、ファだけ簡易化してある指使いでOK、ということだ。そこでフォークフィンガリングになってしまったら、挫折する生徒がたくさん出るからだ。

 バロック式は、ファが難しいかもしれないが、シャープ、フラットはそこまで難しくない。難しくない、といっても、現代のキーだらけの楽器に比べると難しい、と言えるかもしれないが、ジャーマン式の比ではない。

 さてこのジャーマン式に慣れてしまうと、中学になってアルトリコーダーを使い、そのファ(アルトだとシのフラットになるが)を右手の人差し指だけで押さえ、音程が高い、という事態が起こる。結局最後までそれに気づかずに終わる人も結構多い。

 熱心な先生だと、「その指使いは違いますよ」といって訂正され、それで嫌になってしまう生徒も多い。


 私が「どのリコーダーでも指使いは変わりません」と言ったのは、そういう理由からだ。別に、気づかずに終わる人は、それでも良い。皆が皆、音感が良い必要も別にない。

 そこで私が、「リコーダーには実はジャーマン式とバロック式という指使い(楽器)があります。ソプラノリコーダーも本来バロック式で、皆さんの使っているものとは指使いが違います。しかしそのバロック式であっても、楽器の大きさによって微妙に基本の指使いが違います。それどころか、替え指、トリル指、音量調整指になると、一応基本となる運指表は流通していますが、正直メーカーによって変わります、個体によっても違います、それぞれの音程調整も考えると結局は指使いを自分で開発しなければならなくなります。せっかく自分で開発しても本番の時にはそれを忘れてしまい、結局本番でもまたもう一度自分で指使いを開発しなければならなくなってイライラする、それがリコーダーですが、是非皆さん、これからもリコーダーを続けてください。」などと言ったら、どうだろう。ほら、今の皆さんのように、嫌になってしまうに違いない(笑)。

 

 だから私は、そんなことはわかりきっているのだが、「どのリコーダーでも指使いは変わりません」と言った。

 しかし、仲間は気になったのだ。ジャーマン式とバロック式の違いだけは言っておかないと、と。だから、仲間は生徒のことを思い、簡潔に言ってくれた。

 これは、私が言わなくて正解だった。あそこで、仲間が「いや、お前が言え」と言っていたら、上のようなことを本気で言ってしまう所だった。


 会が終わった後、一人の生徒が「私リコーダー好きなんです」と言って、吹いて見せてくれた。むちゃくちゃうまかった。私はこういう子は中にいないと思っていたので「指使いは変わりません」で十分だろうと思っていたのだが、いや、仲間が正解だった。あれは言ってよかった。

 しかし、他のほとんどの生徒には、「指使いは変わりません」で十分だと思う。

 かく言う私も、高校まではソプラノはジャーマン式、アルトはバロック式で、何の問題もなく吹き分けていた。今となってはとてもジャーマン式は吹けないが、当時は何の疑問も抱かなかった。好きな子は、別に何も気にならないだろう。

 


 スガタ精舎に、ある日本人の方が初めて来た時、スダンマ長老が十二縁起の中から簡単に話したことがあった。私は「おや?」と思った。

 スダンマ長老はそれを察したのだろう、「今は簡単に話していますよ。」とすぐに言った。納得した。

 初めて来た人に、「saṅkhāraは云々」と先ほどの私のように細かく話していたら、嫌になってしまう。そこで喜ぶのは私ぐらいのものだろう(笑)。

 

 次第説法とは、そういうことだ。

 

 

 私は、細かい話が好きだ。大好きだ。しかし、大概の人はついてきてくれない。だから分野はなんにせよ、「指使いは変わりません」と言うことも多い。これを、毎回丁寧に細かくしゃべることが、果たして慈悲の実践なのだろうか。私のためにはなるかも知れないが、明らかに相手のためにはならない。そういう時は、「指使いは変わりません」で良いのではないか。もし機会があれば、細かく話すこともあるのかも知れない。が、その仲間たちにも、指使いについてここまで詳しく話したことは、一度もない。

 

 どうでもいいリコーダーについての余談だが、音量調整指を嫌って、p(ピアノ)用とf(フォルテ)用の、穴が二つある楽器を開発している人もいる。息だけでコントロールする人もいる。大変珍しいが、替え指使いまくりの人もいる。 ものすごく難しいが、シェーディングと言って、穴に指をかざすというか、中途半端に押さえて調整する人もいる。上手い人はどれもこれも使うが、大概どれか一つに突出して得意なものがある。他のものができないからといって、その人が「下手」と言えるのか。出ている音が上手ければ、それで良いではないか。

 

 最後に。これまた仲間と話していてびっくりしたことだが、ソプラノリコーダーはc、ドから始まる。アルトリコーダーはf、ファから始まる。他の楽器も基本cかf。しかし、指使いは基本同じ。だから、楽譜を読むことにも最初問題が生じる。私は気になったことが無いが、人によっては楽譜をドレミ、という名前で読むとまったくわからなくなる、という人がいる。指とドレミが一致してしまっているからだ。他にも、絶対音感というか、音の高さと指使いが一致してしまっている人もいたし、楽譜のオタマジャクシと指使いが一致している人もいた。

 

 出ている音は同じ(階名の音)なのに、頭の中は全然違うんだなあ、と大変びっくりした出来事だった。何年も一緒にいても、表面からでは頭の中は何もわからないものなんだ、と反省した。