さくらぎ瀞がわかる範囲の(スリランカの)テーラワーダの教え

スダンマ長老の弟子(在家)がつぶやいてみる。目指せ平日22時up(只今休止中です)

āṭānāṭiyasuttaṃ

sakuragi-theravada.hatenablog.jp

 こちらに、出家は神々より上、と書いた。

 

 では、在家はどうなのか。

 実は、聖なる教えを聴いてる在家は、テーラワーダにおいては神々より立場が上だ。これがわかっているかどうかで、偉そうなことを言っていてもテーラワーダ音痴かどうかがすぐにばれる。神々の話題は、やばい。

 

 今日はその話をしようと思う。

 まず、転法輪経で神々の名前が出てくる順番に、bhummā deva, cātummahārājikā deva、今日はここまでの話をしたいと思う。通常、人間界に接触するのはここまでの神々で、あとの30いくつか種類の神々は、特殊な時にしか人間界には降りてこない。無色界梵天は当然、人間界にも他の天界にも、同じ無色界梵天界とも接触することはできない。

 ちなみに念のため申し上げておくが、テーラワーダでは、無色界梵天は悪い生まれ、とされる。ただの時間の無駄だ、というわけだ。rūpaが無い(または無い、と言ってしまっていいほどごくごく少量のrūpaしか無い。生命(bhava)の定義が五蘊を持つものなので、四蘊界ともいうが完全に無いわけではない。rūpaが無いとviññāṇaが入る定義的にも問題になってしまうが、まあここではどうでもいい。通常、rūpaが無い、と言ってしまって問題ない)と生命とのコミュニケーションが取れないし、なにしろヴィパッサナーができない。

 

 さて、bhummā deva。地の神、地上に住む神。大きい石、樹、神社、氏神等。日本でも馴染みのある神々。基本移動ができない。

 私もよく神社に行くが、お願いしにいくのではなくて、ご挨拶というか、遊びに行く感覚だ。

 しかし、神々より上だからといって、安心してはいられない。助けてくれる神々もいるし、テーラワーダの神々もいるし(日本ではまだまだ少ないか)、邪見の神々もいる。これは他の生命も同じで、助けてくれる餓鬼もいるし、邪魔をする阿修羅もいるし、手伝ってくれる畜生もいる。手伝ってくれる畜生には、皆さんも心当たりがあるのではないだろうか。

 なので、いくら神々より上だ、とか言っていても、神々がそれを納得するとは限らない。これには信saddhāの、確信、自信が必要だ。

 

 bhummā devaの上が、cātummahārājikā deva、四天王だ。四天王といっても、別に四人しかいないわけではない。そういう立場、と考えれば良いだろう。

 日本でも馴染みがあるし、テーラワーダのお寺の食堂には大概シーヴァリー大阿羅漢の画が飾ってあって、その周りに四天王が描かれている。


 そして、アーターナーティヤ経、āṭānāṭiyasuttaṃの話だ。

https://tipitaka.org/romn/cscd/s0103m.mul8.xml

 

 お釈迦様が霊鷲山にいらっしゃると、四天王vessavaṇa, dhataraṭṭha, virūḷhaka, virūpakkhaが、それぞれの部下、yakkha, gandhabba, kumbhaṇḍa, nāgaの大軍隊を連れてやってきた。

 代表して、vessavaṇaが言う。

 ちなみに、vessavaṇa、kuvera、多聞天王、毘沙門天は同一人物(?)だ。このお経で、四天王、特に毘沙門天が仏教の守護神だといわれる所以がわかる。

 「静かな所で修行する、比丘、比丘尼、在家男性、在家女性を、邪魔する部下たち、yakkha, gandhabba, kumbhaṇḍa, nāgaがいます。」

 このyakkha, gandhabba, kumbhaṇḍa, nāgaは、神々も、餓鬼も、畜生も含むようだ。ここに来ているこの部下たちも、皆が皆仏教徒ではない。四天王は、預流果だ。

 「彼らは五戒を守り修行しているので、彼らを攻撃してはならないと通達は出しているのですが、どうしてもいうことを聞かない者がいます。そういう者は、我々の世界に戻ってきたとき、四天王の言いつけを守らなかったものとして、頭を七つに割られます。」

 と、まあそういうお経だ。長部経典なので、長い。長いが、教えとして大事なのはこの辺だ。私は好きで暗記しているが、あとは大臣の名前だとか、土地の名前だとか、まあそういうことだ。

 あ、いや、大事なところがあった。ここで、過去七仏に礼拝している。なぜか。神々の中で、正自覚者、といえば、この中で一番古いvipassī正自覚者の神々がまだ生きているからだ。彼らにとって、正自覚者といえばvipassīであり、sikhiであり、vessabhūであり、kakusandhaであり、koṇāgamanaであり、kassapaである。我々がお釈迦様を正自覚者として信仰しているように、彼らはそれぞれの正自覚者を信仰している。aṅgīrasaというのは、ここではお釈迦様のことだ。

 で、毘沙門天が、「修行する比丘、比丘尼、在家男性、在家女性のために、この声明を受け入れてください。」と言うと、お釈迦様は受け入れられた。

 その証拠に、ほぼまったく同じ内容のことを、精舎に帰られた後、お釈迦様は比丘たちに伝えている。

 お坊様方はこういう言い方は好まないだろうが、言うなればこれが、テーラワーダにおけるお祓い、悪魔祓いのお経だ。まあ護経全部がそうなんだけどね。

 

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 昨日の話題で「護経」の話をしたが、見えない生命からの悪い影響も業なのではないか、と思う方もいらっしゃるかも知れない。が、それは業ではない。

 なぜか。

 nakkhatta-yakkha-bhūtānaṃ pāpaggaha-nivāraṇā, parittassānubhāvena hantu mayhaṃ(tuyhaṃ) upaddave. そういうのの悪い影響から、この護経の力によって離れられますように。

 業であれば、どうにもできない。業でないからどうにかできる。私の霊障についても、複数のお坊様に「悪業ですかねえ」みたいに訊いたら、もちろんはっきりは答えてくださいらないが、「違いますよ」のような仕草をされた。ちなみに霊障、憑依、悪魔憑きには、預流果になるとならない。


 さて、これでわかっていただけただろうか。四天王が、われわれ人間の在家のためにも、すでにお釈迦様の時代にできることをやっている。

 なぜか。

 これはスマナサーラ長老の話でも聞いたことがあると思うが、人間が一番修行しやすい、徳を積みやすい環境にあるからだ。上にも行きやすいし、逆に下にも行きやすい。神々が、そういう人の手伝いをすると徳が積めるので、好んで助けてくれる、というわけだ。神々は徳が高いのだから、功徳が大好き。我々のような固い食べ物は食べない。

 四天王が、仏教徒も、仏教徒でない者たちも含めた大軍隊を引き連れ、お釈迦様を前にして、「あいつらに手を出すなよ。わかってるよなあ、ああん?!」と宣言したわけだ。それでも手を出す奴らはまあいるだろうから、このお経を修行者に覚えさせてやってくだせぇ、というわけだ。

 こういう所からもわかる通り、このお経の中にも出てくるが、四天王はこの軍隊だけではなく、ほかの職業のyakkha, gandhabba, kumbhaṇḍa, nāgaたちも統率している。在家だから当然忙しい。なので、四天王を崇拝した所で、個人的に助けてくれる暇はない。念じるなら、崇拝するなら、お釈迦様だ。

 

 しかしdevatānussatiがある。そういう神々も、テーラワーダの実践を助けてくれる友達、善友kalyāṇamittaだよねぇ、一緒に善いことしようよ!とやるのは、私は良いことだと思う。南伝北伝問わず、仏教は地元の神々を次々とこうして取り込んでいった。やはり神々だから、神通を持っていたりするし、生まれが違うから力が人間とは違う。ちなみに神々並みの威力を持つ餓鬼もいるそうだ。

 

 でも他の神々も、在家だから忙しい。経典にそういう話も出てくる。なにも人間がお願いしなくても、助けてくれる神々は助けてくれる。しかし、悪魔の大群が来る時などは、お釈迦様の時もそうだったように、助けてくれない。māraはもっと高位の神だ。神々も怖いのだ。