twitterで善行為
スダンマ長老曰く、「善行為をして喜ぶ」。
この時、私は「え!?」と思った。
「え!?」と思ったということは、善行為は楽しくない、嫌なことだと思っていた、ということだ。
普通「修行」というと、やはり辛い、苦しいものだというイメージがつきまとう。もちろんそういう場面が皆無だというのは無理だと思うが、善行為についても、同じイメージでいたらしい。
冥想については、違うかもしれない。というか、私は、冥想は辛いだけだ(笑)。中には、楽しくて仕方がない人もいるかも知れない。
私はビビリだ。このブログを始めるのも怖かったし、先週twitterを始めた時も、「炎上する、炎上する」とばかり考えていた。
プラユキ長老が、twitterは対機説法の場、とツイートしていた。プラユキ長老のツイッターは以前から見ていたので「そういうもんかなあ」と思っていたのだが、ネットが好きな私には、何か修行になるものがあるかも知れない、と始めてみた。
恐る恐る、プラユキ長老に絡んでみた。
日々、「うわー、こんなこと思い込んでた!」と発見の日々です。楽しいと思う反面、いつになったら終わるのかと思ってしまいます。
— さくらぎ瀞 (@Toro_Sakuragi) 2018年11月10日
すると、返信をいただけた。
プラユキ長老でもそうおっしゃるのであれば、私などはまだまだに決まっています(笑)。伸び代を楽しんでいきます!ありがとうございます。
— さくらぎ瀞 (@Toro_Sakuragi) 2018年11月10日
皆、プラユキ長老は優しい、すべてを受容してくれる感じがする、などと言うが、ここで私も初めて体験した。恐る恐る始めてみて、恐々直接絡んでみて、一気に弛緩した思いがした。
その通りです!ちなみにつゆのまるこさんは偶然にも、以前の富士スガタ精舎が生まれたおうちだそうです。https://t.co/Nyx3n83JJz https://t.co/H1rnf2xwII
— さくらぎ瀞 (@Toro_Sakuragi) November 12, 2018
内容が、「その通りだ!」と思ったのでリツイートしてみたら、なんとご本人からいきなりフォローされて、あわあわしてしまった。
以前スガタ精舎に宗教学者の三木教授と岡尾講師がいらっしゃった時、露の団姫さんの話になると、スダンマ長老が「ここが生まれたうちだそうですよ」と言う。
失礼ながら、その時にはお名前を知らなかった。家に帰ってから調べてみると、「テレビでよく見る尼さんじゃん!」とびっくりした。
ツイートの内容だが、宗教をやっていると、善行為の強要というのはよくある。お坊様くらい実力があれば強引にやってもいいが、我々はやめた方が良い。自分がどう善行為をするか、それだけ考えていた方が安全だ。「あなたのために言っているのよ」というのは、ほとんどが心屋仁之助さんの言う、妖怪「あなたのために」だ。
おはようございます😃
— 露の団姫 (@2yu0) November 13, 2018
南無妙法蓮華経🙏
さすがはプロの天台宗のお坊さん、南無妙法蓮華経に対するまっすぐな気持ちがすぱーんと来て、朝からシャキッとしてしまった。
今日あなたに起こってくることはすべて『今までの行為の結果(異熟)』だ。その果実はあるがままに受け入れるがいい。そして今日なした行動(業)があなたの未来を生み出す種子となる。今までの文脈や習慣にこだわる必要はない。今日ここから、自分が納得する一歩を自由に選択し、踏み出していこう。
— プラユキ・ナラテボー(公式) (@phrayuki) November 12, 2018
これを読んで、「いや、違う!」と思った。「すべて」が業の結果ではない。どうしようか、突っ込むべきだろうか、と迷った。
ここで、はたと気づく。
sakuragi-theravada.hatenablog.jp
これが佐藤さんの気持ちだったのか、と。今でも言いたいことは変わっていないが、なるほど、と理解した。
最初に言っておくが、この動画は大変下品だ。
私の目指すべきところは、ここかも知れない…https://t.co/jBrY3uTJhd
— さくらぎ瀞 (@Toro_Sakuragi) November 11, 2018
普通によくできた曲だとは思うが、ここまで熱く語ることはできない。私には、この熱さが足りないような気がする。
YouTuberたちの多くがやっていたので、以前から見ていた。プレイしたことはない。見る専門。
さあ今日はPJSseason1 Phase2 Grade2 Day6です!https://t.co/jRZlE6ChCI
— さくらぎ瀞 (@Toro_Sakuragi) November 11, 2018
だいぶ前から見ていたが、ある日スダンマ長老が突然「ゲーム脳というのは確実にある。あれって人殺すでしょう?そういう頭になる」と言った。こちらはゲームの「ゲ」の字も言っていないのに!
師匠に言われたので、しばらく見るのをやめていた。
ピヤダッシー長老という、YouTubeでローマ字で検索しても出てくるほど説法で有名なお坊様がいらっしゃる。いわゆるスダンマ長老のお仲間だ。会社員だったが出家され、カウンセリングの資格も持ってらっしゃる。
そのピヤダッシー長老に、夫婦で個人的な相談をしたら、「映画見たり、ゲームとかして、楽しんだらいい」と言われた。
宗教をやっていると、どうしても禁欲的というか、自分が楽しんではダメなのではないか、みたいな感覚に陥ることがある。まだまだ自分でもできていないので人に言えた義理ではないが、あれは本当にダメだ。自分が楽しんでいないで、どうして人を幸せにすることができようか。
スダンマ長老が言っていたのは、そういう時期だったからだ。スマナサーラ長老も「欲はよくない」と言うが、わからない人がそこだけ強調してしまうと、大変危険な思想になってしまう。
お釈迦様も、在家には普通の欲について、何も言っていない。所有の楽も推奨している。人を蹴落としたり、人のものを奪ったりしてまで得たい欲はダメだ。しかし普通の欲は、気にしなくていい。不浄隨念や食厭想、死隨念も、在家は気を付けた方が良い。出家と在家は、まったく違う。
twitterを始めてみて、今まで知らない世界がいきなり広がった。視野が狭いと、どうしても行き詰ってしまいがちだ。対機説法なんて私にはできないが、少なくとも私自身は楽しむことができた。somanassasahagataが、善。欲にも含まれるが、異常な欲でなければ、いいじゃないか。
ただし、それでも欲を抑えなければいけない時期はある。その時は、お坊様の言うことをちゃんと聞いてほしい。